運命のドア
著者: 金子 晃也ナムコでいくつかのプロジェクトを経験した後、声をかけられたプロジェクトがあった。既存IPの名前を借りつつも、その成果物でチームブランドを作ろうという大変意欲的なもので、私はそこで光栄にもチーフデザイナを任された。しかし私は、品質へのこだわりと生産性の折り合いをつけられず、予算面からプロデューサーと対立した。最終的に私はプロデューサーに暴言を吐き、結果、チームを抜けることとなった。
その後、韓国での講演の話がたまたま私に舞い込んできた。自由に話して良いとのことだったので、私のそれまでを振り返ることにした。これは、今まで気づかなかった個々のプロジェクトを通じての、私自身の成長を振り返る機会となった。それまでの学びや心境の変化を交えつつ、そして次世代に向けた希望をこめ「次世代グラフィックスへのモチベーション」という演題をつけた。
韓国での講演や、シーグラフへの参加は、海外のクリエイターとの交流の場でもあった。しかし私は英語が話せなかったので、これをきっかけに次なるテーマを「英語」にし、9年働いた会社を辞めて留学することを決意した。
留学先のシアトルの語学学校では「カンバセーションパートナー」という留学生の会話を助ける仕組みや、優しく私に接してくれた人たちにとても助けられた。その後、語学学校を卒業し、コミュニティカレッジに進んだ。そこのエッセイのクラスで、私の文章をすごくほめてくれる先生がいたおかげで、文章を書くのが好きになった。クラスの最後の課題は、遠藤周作とキリスト教をテーマにしたエッセイを書いた。これは仲良くなった敬けんなクリスチャンの言葉に興味を持ったのがきっかけだ。彼は言った。「私は自分の運命というのを信じている。人生というのはすべてが神の導きによるもので、無駄なものは何一つないんだ」と。
ゲームクリエイターを選択した事、さまざまな場所での出会いや葛藤、そして事件も、これまでに至るすべてが「運命」だったとしたら……。
そして、日本に戻り、ハル研究所に就職した。今度はプロジェクトそのものではなく、開発環境によってゲーム開発者を裏側から支える業務を選んだ。ナムコではゲームプロジェクトを通じて、ハル研ではプロジェクトの枠を超えて、会社や組織を含むプロダクション全体に興味を持ちながら仕事をすることができた。
興味とは、私たちのものづくりに対するモチベーションの源泉だ。だから、モチベーションの低下はクリエティブな作業にとっては致命的なものだ。そこで、モチベーションの維持のためにセルフマネジメントが必要になる。「私は必要とされている」「この仕事はとても大切な事だ」と考えられる「能力」が、モチベーションやその先のアウトプットに繋がる。
今の現場は大規模化しているため、包括的というよりも局所的な仕事が多い。一方で業界を取り巻く変化は非常に早く、広い視野でその変化を把握するスキルが個々に求められる。変化とは選択の積み重ねのようなもので、私たちはその選択の精度を高めるべく、日々さまざまな情報から学ぶ。この過程は、私たちのまだ見ぬ新しいものに対する漠然とした恐れを「セルフマネジメント」することと言い換える事が出来る。
私たちの思い描いていたものづくりは日々変化し、その中での役割も、私たち自身もそれに合わせ変わっていく。私は多くの人に感じてほしい。「この変化は必然であり運命であった。そしてその変化とは私の成長そのものだった」と。
運命には当然続きがある。だから私たちが立ち止まろうとしない限り、私たちの運命は次のドアを用意して待っている。怖がらずにこのドアを開く準備をしていてほしい。