私たちは誰のためにゲームを作っているか
著者: 宇佐見 公介ゲーム制作というのは、芸人のネタ出しに良く似ている。
例えばあなたが芸人になったとしよう。そして、幼稚園と老人ホームで漫才をする事になったとする。どちらでも同じネタで話すだろうか?幼稚園児には、言葉よりもわかりやすいオーバーなリアクションや見た目の面白さを考え、老人が相手なら、時事ネタを入れたり話の面白さに力を入れよう、と考えるだろう。海外公演で、外人を相手にする場合だったらどうするだろう?文化の違いによっては使えないネタもあるし、相手の文化に合わせるより、むしろ日本の伝統を表に出した方が受けると考えるかもしれない。
相手によって内容や見せ方を変えるという事は、ゲーム制作においても重要な事だ。
ゲーム制作には、様々な職種がかかわる。どのようなユーザー層に対して、どのような内容のゲームを作るのかを考えるのは、ゲームデザイナー、ディレクター、プロデューサーといった職種が担当することで、プログラマなど他の職種が考える必要は無い、と思うかもしれない。しかし、それぞれの職種が違う方向を向いていては、決して面白いものは出来ない。
実に当たり前の事なのだが、それを本当に深く考えている人は少ない。
私はプログラマなので、プログラマの気持ちは非常に良くわかる。プログラマというのは技術的な事が大好きで、高い技術を使ったゲームに目を奪われてしまう人種だ。実写と見間違えるほどの高度なグラフィックスや、人と勘違いしてしまうようなAIがあったら、「面白い!」と思って、積極的に取り入れようと考えるだろう。それ自体は悪い事では無い。しかし、それがユーザーにとって本当に面白い事なのかを、もう一度良く考えてほしい。
クリエーターが思っている以上に、ユーザーの好みとクリエーターの好みには大きな隔たりがある。クリエーターは、それぞれの分野でのプロフェッショナルだ。そのために、テクニックに頼り、細部まで作りこんでクオリティを上げることを重要視する傾向にある。一方、多くのユーザーはその事に殆ど興味はなく、判りやすいリアクション、ストーリー、見た目の面白さ、そして友達と話題になっているか?流行っているか?ということの方が重要だと考えている。テクニックや作り込み自体が悪い訳ではない。それをユーザーの好みに合わせて、どのようにして面白く伝えるか?体験させるか?という事にもっと多くの時間を使うべきなのだ。
とはいえ、実制作に関わっていると、作り込むことに時間を割いてしまいがちだ。そんな中、上記のことを忘れないためには、どうすれば良いのだろうか?クリエーターが注意するべきことは二つある。
一つはユーザーの意見を「直接」得る事
ネット上には、多くの様々な意見が書き込まれている。それらを定期的に見る事で、ユーザーの細かな意見をすくい取る事が出来るだろう。また、ユーザーテストを行って意見を聞くのも大切だ。TV番組や、本屋にどんな書籍が並んでいるかを見ると、消費者の傾向が見えてくる。これらは、他人からの又聞きではなく、自分で「直接」聞く事、見る事がとても重要だ。
一つは他の職種と繋がりを多く持つ事
面白さというのは実に些細な事で変化する。プログラム、絵、ストーリー、音楽といった様々な要素の「組み合わせ」が大切だ。その為にはクリエーター同士で、特に別職種と意見を交換する機会を積極的に作るべきだ。単純に一緒に食事するといった事から始めるのも良いだろう。
これらの点に注意する事で、チーム全体でユーザーの視点を考え、ゲームに入れ込むという事が出来るようになるだろう。忘れてはいけない。ゲームクリエーターというのは「ユーザーのためにゲームを作っている」のだから。