君は反省し続ける事ができるか?
著者: 今給黎 隆ここでは、私の今までの振り返りから、皆さんの行動を変えるための後押しができればと思っています。
自分で言うのもイタイですが、私の価値を棚卸ししてみました。
- 日本語で初めてゲーム開発者向けのゲーム開発者による本を書いた
- CEDECで自分の名前を冠した1Dayセッションを開いた
- ゲーム業界でレアな博士号所有者
周りの方々に後押しされながらですが、良いきっかけに恵まれたなぁと改めて感じます。
ではなぜ、私はチャンスを掴めたのか。見つめ直してみます。
ゲーム産業は、ファミコン時代からPS3の時代まですごい勢いで進化を遂げてきました。それにともなって、求められている知識も高くなってきました。しかも10年ぐらいで求められる知識ががらっと変わります。プログラミングだと、昔はアセンブラの知識が求められていたのが、3DCGの知識が必要となり、現在はサーバーサイドの知識が必須です。一生、勉強が必要です。
では、一体どうすれば勉強し続けることができるのでしょうか?自分は怠け者です。正月に決意を新たに新しいことに挑戦しても、3日でその気持ちが萎えてしまいます。先ほど列挙した成果の裏には、実現しなかったことも多々あります。そんな中、自分のモチベーションは常に「危機感」でした。ゲーム業界に入った時には、それまで独学でしかプログラミングをしてこなかったので不安になり、通勤時に本を読むようになりました。また、技術的なホームページの作成や本の執筆も、「会社の仕事をこなすだけでは世間の常識についていけていないのではないか」と思い始めたからです。昨年も、「大企業の安定した環境にいると、現在は良いけれども、将来的に取り残されないか。特にソーシャルゲーム業界の進み方は早いので、差を付けてしまわれないか」という不安があり、転職をしました。
ただ、不安・不満・心配は、ネガティブなキーワードであり、原動力にするのは、あまり良くなさそうです。ということで私は「不安」という想いを「反省し続ける」という行為に置きかえるようにしてきました。
「反省だけなら猿でもできる」といわれますが、反省をし「続ける」事は大変に難しい。例えば、アジャイル開発を導入する場合、メンバーが反省する気持ちを持ち続ける仕組みも同時に導入しないと意味がないと感じてきたことが何度かあります。ただ、日本人は欧米の人よりも反省する力に優れていると私は考えています。海外には、「謝ることは負けたことになるので、良くない」と考える文化も存在します。しかし、日本では、謝るためにこうべを垂れるお辞儀や土下座は、相手への感謝・恐縮等を表す行為であり、服従のようなネガティブな意識はありません。反省するために頭を下げる事はロダンの考える人の像とポーズと同じであり、それは学校などに置かれて子供のころから慣れ親しんでいる姿です。ということで、日本人は反省、そしてそこからの内省に抵抗感が無い文化と思っています。この利点は活かせるはずです。
で、実際にどう反省すれば良いかという話ですが、「ふりかえり」を定期的なスケジュールに組むのが良いでしょう。「ふりかえり」とは、アジャイル開発手法にある実践項目の1つで、定期的に行動を見なおして、新たなチャレンジを決めます。技法としてはKPT 法が日本では良く知られていますが、それ以外にも方法はあるので調べていただきたいです。ただし、ここで「反省を表面的な問題点の洗い出しにとどめてはいけない」ということだけ言わせて下さい。問題となっている点に関して、具体的な事実から「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」と深く問いただして、根源的な解決策を探るように心掛けないと、「ふりかえりはしているけれど、全く良くならない」となってしまうでしょう。
これから先も私はこの本を読んでいる皆様と走っていきたいと考えています。そのために、是非ともこの先、私を叱って反省を促していただけたらと思います。