半歩だけ先を行く「凡人」の仕事術
著者: 佐々木 久美今回の話を受けて、困ったことがあります。
現場の要求に沿うために行った制作手法やテクノロジーについて語ってほしい、と言われたのですが。一介のアニメーターにすぎない私は、これといった目新しい技術などを自身で開発したことがないからです。
しかし、あえて今回、私が選ばれたのには何か理由があるのでしょう。そこで過去の制作手法などをたどってみました。
1995~1999年ライジング(現エイティング)入社
- ビデオカメラが高価であったため、トイレの鏡を見ながら自分で動いて観察していた。当時、ネット上の動画投稿サイトもなかったため、毎晩帰宅時にレンタルビデオ屋で2・3本のアクション映画などを借りては深夜4時か5時まで動きのネタ探しに没頭し、朝9時には出社する、という毎日をすごしてきた。 →動きの引き出しが増えた。アニメーターはバランスの良いインプット・アウトプットが必要。
2000年ナムコ入社
- 皆は、会社にあったビデオカメラで自分の動きを撮影して観察していた。私は、安価なビデオキャプチャーカードと自作PCを職場に持ち込んで、映像をPCに取り込んで観察できるようにした。 →コマ送りやスロー再生などで緻密な分析ができ、またDCCツールのビュー画面との比較が容易になった。
2005年映画美学校に入学
- ハード性能の進化により緻密な絵を再現できるようになったが、演出やカメラワークが追いついていない、と思い、実写の学校に通うことにした。 →後日、モーションキャプチャーの現場などで、ここで得た知識が大いに役立った。現在の仕事(映画制作)をするにあたって、演出側の意図を汲み取りやすくなった。
2005年末~2006年アイドルマスター制作初期
- TVアニメなどでディテールの細かさよりも、動きの緻密さが喜ばれる時代になりつつあると感じた。そこで、自身がリーダーを務めるゲームでは、動きのクオリティ重視の方針をとり、発表用のムービーで使うアニメーションの制作期間を他のデータの倍にした。 →発売当初は売り上げが伸びなかったものの、そのコンテンツは社内の主力コンテンツへと成長し、他社からも類似した作品が出るようになった。
2009年Mocapチームに移籍
- プロジェクトチーム内のアニメーターとMocapチームスタッフとの間で人的流動性が足りてないために、自分たちは上手くMocapを使えていないのでは、と思い、自ら志願した。データがどのような工程を経てエンドユーザーに届くのかが気になっていたのだ。 →実際にデータを使用するアニメーターとしての知識が豊富なため、どういったものが求められているのかがわかる。扱いやすいデータをプロジェクトに提供できた。
2011年白組入社(フリーランス)
- 日本がゲームもCGもアジアを含めた世界に遅れていると感じた。海外での制作経験を積むべき、と決意。その前に国内のCG業界の現状を実際に体験したいと考えた。短期間で多くのアニメーション作成が求められ、スタジオを使ったMocapが気軽に行えない環境にあるため、iPiやBrekelKinectといった、一般販売されているデバイスを利用したMocapを利用することにした。 →Mocapの撮りなおしが容易で、自分でデータ加工が可能なため、ディレクターの細かな指示に即したデータを撮ることができた。他のアニメーション作成経験の浅いスタッフでも、少なくとも「動いているもの」を作ることができた。
こうやって思いおこすと、今ではあたりまえになってしまったことを、自分は周囲より少しだけ先を行けていたと思います。それができたのは、自分たち以外の近しい職種・業種に興味や関心、敬意を持っていたことが幸いしたのではないかと思います。
凡人なりの生き方ですが、私の経験が皆様の何かのヒントになれば幸いです。