世界は宝の山である
著者: 簗瀬 洋平人間は自分の感覚器官を通じて収集した情報を脳によって解釈し、世界を理解しています。つまり、どのように情報を解釈するかによって、世界の見え方が違ってくるという事です。我々は自分の脳の中に住んでいる、と言っても良いかも知れません。
私の脳は、得た情報をモデル化するのが好きなようです。物事がどのようにして成り立っているのか、どのような仕組みで動いているのかという事を常に考えて生きています。これはゲームクリエイターとしてどうこう、という以前から自分が持っていた性質です。何事も気になるし、調べずにはいられません。
例えば私は、幼い頃から約二十年に渡って剣道をやっていました。当時から非常に好奇心旺盛だったので、様々な疑問を周囲の大人たちにぶつけてきました。
- Q1.剣道で小手、面、胴という基本動作をひたすら反復練習するのは何故?
- Q2.剣道で試合の時に、大声を出して相手を打つのは何故?
- Q3.剣道には竹刀で打ち合うからこそ発生する技術が幾つかある。本来の目的であるはずの剣術の練習というところから外れているのでは?
その場の返答に納得できる事もあるし、出来ない事もありました。場合によっては、聞いた人によって答えが違ってくる事もあります。新しく疑問を持ってしまう事もあります。中高時代には、部活の影響でスポーツ的に剣道を捉えていました。その頃は、元々自分の習ってきたものは古くからの慣習などによるものに過ぎず、教え方もスタイルも過去のものであると感じていたのです。その後、大学に入って、剣道を教えられるのみではなく、子供に教える経験をしました。物理や工学などのより深い知識も学びました。すると、今まで意味がないと思っていたところにも、想像以上の合理性を見出すことができました。基本動作をひたすら練習するのは基本の習熟と理解を第一とするため、大声を出して打つ事の歴史的、思想的な背景、竹刀で打ち合う技術の中に剣術と共通する根底があること、などに気付きました。教えるという経験と、物理や工学で力学的な知見を学んだことで、単なる慣習と思っていた剣道のスタイルに秘められた合理性を理解できるようになったのです。
質問をするというのは、新しい視点を手に入れるという事であります。通っていた道場の先生方は皆、それぞれ本業を持った社会人で、警察官、経営者、教師、自衛隊員など様々なバックグラウンドと違った視点を持っていました。そのため、私の質問に、様々な視点から応えようとして下さいました。学問を修めるというのも、また新しい視点を手に入れる事です。自然科学、社会科学、人文科学など分野で分けられた学問は、同じ対象を違った視点で分解します。
世の中には面白いだけの事も、つまらないだけの事もありません。得た情報をどう解釈するかによって、それはどうとでも変化します。解釈するための視点が多ければ、それだけ「面白い」を発見する可能性は高くなります。ゲームクリエイターの仕事も、様々な視点から見つけた「面白さ」を、遊ぶ人の脳内に送り込み、組み立てさせるのが醍醐味ではないでしょうか。潜水艦に乗ってソナーだけを頼りに魚雷を撃ち込むように頼りなく、スリリングな感覚です。
面白さの探究は、面白いと感じる自分の仕組みを知る事であり、面白い対象となる何かの仕組みを知る事であり、ひいては世界の仕組みを知る事です。世界は宝の山であり、経験と学びはそれを見つける地図と羅針盤になります。地面を掘っても、空を見ても、そこには何かしらの発見が出来るよう、それを見極めるだけの視点を持っていられるよう、日々自分を変化、成長させていきたいものです。