モノ作りの宿命

とりわけゲームにだけにあてはまる話ではないけど、最初に覚えておくべきことがあるとすれば「今、自分が知っていることは全て古い知識である」という意識。いわゆる本質や普遍的なものは確かに存在する。しかし市場は常に変化し、同時に技術も常に進歩することで、価格と品質に求められるハードルも上がり続ける。でもこれらは自分たちにとって避けられない宿命だ。でもその前提の中で作品を作っていると、そもそも本質や普遍的なもの自体が存在するのか?さえ疑問に思える時がある。でも繰り返すが本質や普遍的なものは存在する。だから悩みながらも自分が納得するモノ作りをするためには、その宿命をしっかり受け止めるしかない。が、それがなかなかできない。なぜなら自分の積み上げてきた経験や知識を否定する勇気を問われるからだ。でもそれが出来なければ過去に囚われた考え方からでしかモノ作りが出来ない。つまり「その時代にマッチした」形のコンテンツやサービスを発想、展開させることが不可能だということだ。だからこそ「今、自分が知っていることは全て古い知識である」ということを忘れずに、いつもそう思っておくことだ。でもここまで言い切ると「では自分が過去やってきたことは全て無駄なのか?」と反論したくなるかもしれないが、そういう意味ではない。経験や知識には十分な価値がある。だがそれらは武器としての価値ではなく、防具やプライドとしての価値に近い。故にそれだけでは攻められない。前には進めない。だから新しい経験や知識を常に増やして武器にして前に進む。そして同時に少しづつ過去の荷物も整理すべきだ。役立たずになった経験や知識は捨て、新しいそれらに入れ替えるのだ。その時はついでに役立たずになったプライドも捨ててしまおう。何を捨て、何と入れ替えるかは自由にすればいい。その判断基準こそ個性でもある。そしてそこまで出来たら最後に2択が待っている。自分一人で前に進むのか?誰かと共に進むのか?答えは簡単。自分一人でなんて行くな。時間がもったいない。大きな絵も描けない。でも他人に気を使う方が面倒だって?まぁそういう面もあるかも。モノ作りとは確かに最後は孤独との戦いだ。でも一人だけではどうしても解決できないことが起こった時、どうやって解決するのか?デジタルに頼る?つまりネットで調べて何とかする?まぁそうすれば安価で早く正しく前に進める気もする。でもデジタルを盲信するマインドの裏側とは、人を避け、手早く最大公約数を手に入れ、同時に成功だけを歩みたいというズルい気持ちの表れでしょ?都合が良すぎるよ。そんなの。アナログには揺らぎがあり、デジタルには揺らぎが無い。だからデジタルが便利で正しい?だからデジタルを信じる?そんな馬鹿な。でも最近は“自分の感性”すらネットで確認しようとする人も増えた。例えば観たい映画があるとして、まず観た人のレビューを気にする人も多い。でもそれは参考であって、自分が観たいと思うならレビューがどうであれ観に行くべきだ。本来、自分が好きなものを周りがどう思おうが何を言おうが関係ない。それがどんなに大きな声で言われたとしても。Webページの上の位置にあるものが真実なら、真実なんていくらでも捏造できる。でもね、デジタルは裏切るよ。しかもその裏切りは揺らぎが無い分、人のそれ以上に冷酷で無責任だよ。その上で最後に憶えておくこと。デジタルに振り回させるな。そしてまず裏切らない人を探せ。簡単じゃない。でも見つからなくともあきらめずに探せ。ゲーム作りと関係あるかって?大あり。モノ作りとは結局、貪欲に前に進むために競い合い、許し合える仲間探しと同じなのだから。