ゲームの「技術」とは何か
著者: 五反田 義治私は、レンダリングの五反田として知られているようだ。実際、国内外の各種カンファレンスで物理ベースレンダリングに関する発表を多く行っているのだから、そのように見られるのは無理もないことだ。しかし開発会社の経営者として、また技術者として、レンダリングだけがゲーム開発に重要な技術と考えているわけではない。むしろ近年においては、他に重要な要素技術が増えている結果、重要性は相対的に下がりつつあると考えている。
実際、レンダリング技術は見た目で一番わかり易いので注目されがちではあるが、ゲーム開発に要求される様々な技術の一部に過ぎない。最も重要なのは、ワークフロー、ツールなど、ゲームでは直接目に見えないもので、これらは制作会社やチームの「文化」を直接反映する。そして、その「文化」は、そこで働くクリエイター自身ですら気付いていないことがある。個人的には、独自文化の発展を重要課題として捉えている。なぜなら、これをしっかりと確立、認識しないと、外部の技術を取り入れるにしても競争するにしても効率面で問題が出るからだ。もし、自分たちの文化を把握できていなければ、外部技術の導入においては文化同士の衝突が発生し、取り返しの付かないことになるだろう。また、独自技術の開発方針を定める場合も、無駄な方向性に投資してしまうリスクが増えてしまう。
例えば「ゲームエンジン」を導入することを考える。最近では、高性能なゲームエンジンが何種類も販売されている。これらの日本における導入は、残念ながら成功ばかりではなかった。その原因の一つとしては、やはり互いの文化の違いを受け入れられなかったことにあると思う。単なる技術力の問題ではない。仮に導入側の技術力が非常に高かったとすれば、文化の違いを無理矢理自分たちの文化に合わせこむことができる。その結果、エンジンのバージョンアップに追随できなくなったり、エンジンの設計ポリシーと異なる使い方をした結果、性能を出せなかったりといったことが実際に起きてしまう。
一方、独自性を高めるために数ある要素技術の一つとして物理ベースレンダリングの研究を始めたが、当時は巷のゲームエンジンはこれをサポートしていなかった。実際、そのあとしばらくして流行となり、最近ではゲームでの実用例も多数出て来ている。今後はスタンダードな技術になっていくであろう。
重要なことは、どんなに優れたレンダリングエンジンや物理エンジンを開発したとしても、それだけでは優れたゲーム品質には直結しないことだ。ましてや、ハードウェアの性能向上と、様々なチャネルによる技術情報の公開と共有が進んだ現代において、描画技術等要素技術によるゲームの差別化は困難になりつつある。むしろ、レンダリング面から考えればアートデザインによる差異化のほうが重要だ。プログラミング技術や研究は、そのオープンソースプロジェクトや各種カンファレンス等情報共有の進展やゲームエンジン等により、かつての数倍以上の生産性が得られている。しかし、アートやゲームデザインの生産性は優秀なツールなどによってかなり向上はしているが、アナログ的な部分もまだ多く、プログラミングほど向上しているとは言い切れない。そして後者の「技術」を支えるのは「文化」だ。この事実を軽視し、安易なビジネスに流れれば、現場の技術レベルは停滞するだろう。実際、物理ベースレンダリングを採用した海外タイトルでも、それを活かしたものとそうでないものの差が出始めている。この差は単純に数式や方法論で説明しきれるものではない。ワークフローの違いだけでもない。短い時間の講義や書籍でも伝え切れない「文化」に原因があるのだと思う。
自分たちの「強み」「弱み」、そして「文化」を把握し、本当に必要な「技術」への投資を行っていくことができれば、優れたゲーム製作の手助けをできるはずだ。