ゲームのコントロールをシンプルに

コントローラーは友人ではありません。必要悪であり、プレイヤーとゲームデザインを繋ぐ仲介者として我々ゲームデザイナーが対峙しなければならない相手です。この仲介者は、プレイヤーのインタラクションをスムーズで没入感に富んだものにも、悪夢にもできます。世界中の人にプレイしてもらいたいのなら、ゲームのコントロールについてもっと真剣に捉えなければなりません。別の言い方をすれば、この10年間続いたやっかいもののプラスチック製デバイスとの恋愛に終止符を打つべきです。

ゲームを遊ばない人にその理由を尋ねると、ゲームが「難し過ぎる」という答えが良く返ってきます。これは多くの場合、コントロールが複雑過ぎるということを意味しています。初めてプレイしたときに難しいと感じたプレイヤーはそのゲームに再挑戦してくれることはまず無いでしょう。任天堂は、市場で放置され続けて来たこの領域に気付いていました。シンプルで非常に効果的なコントロールの2つのデバイスに会社の将来を賭けました。NintendoDSとWiiです。Appleは、ボタンの無いタッチスクリーンデバイスによって、更に入力をシンプルにしました。そして、数百万人もの新しい人達をゲームの世界へ誘っています。

コンソールゲームのコントロールをデザインするときには、そもそもどうしてコントローラーが存在するのかを忘れないようにするのが大切です。それは、プレイヤーがスクリーン上のオブジェクトを操作するためのプラスチック製の機器で、2つのジョイスティックと16個のボタンが付いています。我々ゲームデザイナーがやりがちなミスは、コントローラーを、固有な入力で満たさなければならない16個の空白と思う事です。全ての使用可能なボタンに、それぞれ固有の入力を割り当てたら、プレイヤーは全てのボタンの役割を覚えなければなりません。多くのゲームデザイナーは、16個のボタンでも足りなくなると、アクションコマンドをボタンの組み合わせに割り当てようとします。このやり方は、ゲームの主な魅力をアピールする邪魔になるのみならず、アートの寿命を縮めます。多くの博物館に収納されている『メタルギアソリッド3』のようなゲームですら、悲しい事にとても使いにくいコントロールとなってしまいました。

ときどき、私自身がかかわった『メタルギアソリッド4』のコントロールを思い返します。このとき、前作と同じ失敗を繰り返さないコントロールをデザインしたいと強く思いました。しかし開発を始めてすぐに、無駄の無いシンプルなコントロールがうまく実現できないという壁にぶつかりました。原因は過去のデザインです。新しいゲームのためのコントロールデザインは、それだけで難問です。ハードコアなファンにも、新しいユーザーにも喜んでもらう必要があり、長年にわたるシリーズにおける標準のコントロールがありました。このとき、どうしてゲーム産業が長きに渡ってコントロールをシンプルにできていないかを思い知ることになりました。

『メタルギアソリッド4』のコントロール方法は上手く作れたと思います。シンプルとは言えないまでも、無駄な入力を排除できたのは大きな進歩でした。コントローラーの全てのボタンを使う事を止めてみたら、本当はそんなものは必要なかったことに気付きました。このゲームは、これまでより良いものになりました。コントロールに関係しないことでも、無駄を無くすことは全てのゲームが目指すべきことです。任天堂は1997年に『ゼルダの冒険時のオカリナ』で「ジャンプ」ボタンを無くすという重要な流れを作りました。Bungieは、2001年の革命的なファーストパーソンシューター『Halo』で、武器の選択を1つのボタンのみで出来るようにしました。さらに最近では、ThatGameCompanyが、オンラインアドベンチャーゲーム『Journey(風ノ旅ビト)』で、PS3の17個のボタンのうち、たった2つのボタンで操作できるようにしました。間違いなくゲームデザイナーの誇るべき功績です。

現在の業界におけるコンソールからタッチスクリーンへの移行は、多くのデザイナーにゲームコントロールについて今までとは異なる考え方をするように強いています。「少ない事はいいことだ」の可能性を受け入れて、徹底的に無駄を省いた入力デバイスに特化したゲームをデザインする人もいます。一方で、過去の16ボタンが付いたプラスチック製コントローラーの栄光に拘り、コンソールのコントローラーを「仮想的」にタッチスクリーンに作り、プレイヤーを残念がらせる人もいます。タブレット、スマートフォン、Kinectなどは、これからのゲームは近いうちにもっとシンプルな入力デバイスが普及する事を感じさせます。そして、プラスチックが世界から減るのは絶対にいいことですしね。