どこまでがゲームなのか、ゲームデザインなのか
著者: 鬼頭 雅英カイヨワは遊びを4種類に分類したが、私はビデオゲームに関しては、「競争ゲーム」と「なりきりゲーム」の2種類があると、ざっくり言っちゃった方が良い気がしている(「競争」にはゲーム自体の攻略や記録に挑むチャレンジも含む。またミミクリは「模擬」と訳すより「なりきり」と言った方がしっくりくるのでそう呼ぶ事にする)。多くのゲームは当然両方の要素を含んでいる。
狭義のゲームデザインは、主に競争ゲームとして面白くしようという試みである。これは、ルールとゴールとフィードバックがある遊びで、プレイヤーには主体的に参加する意思がある遊びの事だ(という考え方に私は賛同する)。だから狭義の「ゲーム」におけるゲームデザインとは、「ゲームメカニクス」のデザインであり、即ちルールとゴールとフィードバック(競争の過程や結果をプレイヤーにどう伝えるか)を考える事だと言える。
一方、ヒーロー気分を味わえるといった「なりきり体験」それ自体は、ままごと遊びや電車ごっこがゲームではないのと同様に、(狭義の)ゲームではない。しかしストーリーやグラフィックスをはじめ、いかに世界に没入できるかに工夫を凝らす事は、ゲームプレイ体験の設計であり、広い意味でのゲームデザインの範疇である。これは、「競争」と「なりきり」が合わさった結果の体験を魅力的にしようとする仕事だ。それは「ゲームプレイ体験」をデザインするという事であって、ここにはプレイヤーがゲーム中で経験するすべての事が含まれてくる。ゲームルールは勿論、主人公の置かれた状況、グラフィックス、UIや操作の手触り感、モニタの大きさやコントローラーの重さを決める事も、ゲームデザインの範疇に入ってくる。例えば戦闘機のゲームで、敵を撃墜した1/60秒後に「(主人公が)敵機を撃墜したぞ!」と僚機の台詞を再生してしまうと如何にも(狭義の)ゲーム的なフィードバックになってしまうが、そこに1秒のwaitを入れると僚機のパイロットが「撃墜を目視してから台詞を喋った」感じが出る。こういったごく簡単な工夫は、ゲームプレイ体験を変化させるデザインだ。
実際にゲームを作る時には「競争」と「なりきり」はトレードオフになりがちだ。ルールを明確にする為に敵戦車の弱点を赤く光らせたり、射撃の成功を明確にフィードバックする為に、弱点に命中した時は派手な着弾エフェクトを表示したりすれば競争ゲームとしては面白くなるが、リアルな戦争ゲームとしての「なりきり感」は損なわれる。逆にどこから撃たれたのかも分からず、身体のどこに当たっても銃弾1発で行動不能になるゲームはリアルだが、競争ゲームとして成り立たせたいなら、もうひと工夫いる。結局、多くのゲームで「競争」と「なりきり」の配分の落とし所を見つける必要が出てくる。自分が作っているのは競争ゲームなのか、なりきりゲームなのか。お客さんはどっちを求めているのか。それを見失わないようにしないといけない。
狭義の「ゲーム」の部分にはタッチしないで、ストーリーやアートやサウンドで「なりきり感」を最大化しようとする人は、ゲームデザイナーではなく演出家と呼んだ方がいい。狭義の「ゲーム」の力をストーリーテリングに活かして強烈な感動でプレイヤーの胸を打とうと画策する人は、優れたシナリオライターであると同時に、やはりゲームデザイナーと呼ぶべきなのだと思う。